時をかける表象

東京大学文科2類。記事と日記に分かれてます。

22.「中学校/成功体験」

2021/04/14 水曜日

 

昨日は小学校の成功体験を書き、校内マラソン大会と市内の駅伝大会で優勝したことを書きました。今日は中学校の成功体験を書きます。中学校の成功体験は全中に出場したことです。全中の正式名称は全国中学校体育大会らしいですが、俗に言う中学生の全国大会です。Wikipediaには「各種目において中学の日本最高峰の大会」と書かれています。私は中学3年生の時に800mと1500mの2種目で出場しました。昨日書いたように、市内の駅伝大会で優勝したことで私たちは中学校の陸上部の先生に認知され、顧問の半ば脅しのような勧誘と両親の勧めもあって、私は陸上部に入部しました。男子駅伝メンバー5人のうち、陸上部に入部したのは私だけでした。校門の近くと運動場のフェンスには偉大な先輩方の横断幕が張ってあり、そこに書かれた「全国大会出場」という文字に惹かれて、私は全国大会出場を目標にしました。校内マラソン大会の1500mで2連覇したこともあって、私は1500mで全国を目指そうと考え、最初の記録会では4分59秒をマークしました。当時の全国参加標準記録は4分10秒50だったので、2年後=24ヶ月後までに50秒縮めるだけで全国に行けるのかと思い、常識的に考えて2週間に1秒縮めるだけなら余裕なのではないかと思っていました。今考えればあまりにも楽観視しすぎていました。周りの同期や先輩にも、さすがに舐めすぎではないかと言われていましたが、当時の私には自分の本当の実力と目標との距離を正しく認識することができませんでした。ちなみに中学1年の10月には4分40秒80、中学2年の10月には4分20秒88をマークしているので、冬にガチで練習すれば中3の夏までに3分台を出せるかもとも思っていました。限界効用逓減の法則を知らず、一生同じペースで成長できると思っていたからです。

まず全中に出るには、参加標準記録を突破しなければなりません。数年おきに記録は改定されます。当時は1500mで4分10秒50、800mで2分1秒50でした。この記録はいつ突破してもいいというわけではありません。7月上旬の通信大会か7月下旬の県総体でこの記録を突破しなければならないのです。その日が悪天候だったら終わりです。私はこの事実を中学2年の冬の選抜合宿まで知りませんでした。春先の記録会で標準を突破して、秋頃は生徒会でもやろうかななどと考えていました。17.「中学校/嬉しかったこと」にも書いた通り、元々は1500mをメインとしていて、補助員回避のために3000mも走っていましたが、中学3年の5月に800mを始めました。結果的に800mにして良かったと思います。3000mでも11月に9分2秒95を出せましたが、全中に2種目出場するなら1500mと800mしかあり得なかったと思います。ちなみに400mは中3の8月の54秒50がベストです。噂によると、選手への負担を減らすという目的で1人1種目までとする案が出ているらしいですね。結局補助員やるなら一緒でしょとは思いますが、種目によっては本当にご飯を食べるタイミングがなくなるので妥当な気もします。
既に前置きが長くなっているので、通信大会と県総体の4日間について端的に書きます。通信大会の1日目は曇り空でした。1500mに出場しましたが、途中から緊張で頭が真っ白になって何も覚えていません。1ヶ月前の記録会で4分10秒台をマークしていた選手について行こうと思っていましたが、その選手は調子が悪くて全く先頭に出ず、代わりに先頭で彼を待っている私がどんどんペースを遅らせ、その組から標準を切った選手は1人もいませんでした。「このままのペースでいきますと、4分25秒前後のゴールタイムが予想されます。もっとペースを上げてください。」というアナウンスを聞いた時に、もう今日は諦めて明日に賭けようと思いました。今調べてみたらゴールタイムは4分23秒98でした。予想ってすごいですね。ちなみに私は2組でしたが、1組は3人、3組は2人、4組は6人も参加標準記録を突破していました。その日の帰りに両親とびっくりドンキーかどこかに行き、私はしきりに「マジでなんでなん」「どないなっとんねん」と言っていました。涙を流すというよりも、茫然自失の果てに憤りが芽生えた感じでした。母は切り替えて明日に臨むように言っていました。その日が誕生日の同級生にも励ましてもらいました。次の日はとてつもなく快晴で、800mに出場しました。私は最終組の6組でした。各組1〜2人ずつ参加標準記録を突破していき、既に走り終わったライバルが「お前も絶対行けよ!」とか言ってくれました。1組に8人しかいない分、各々の勝負をみんなで応援するというムードだったような気がします。みんな青春に酔っていました。走り出してからの記憶はほとんどありませんが、ラスト200mの地点に置いてある時計がちょうど1分30秒と表示されていたので、ラストの200mを30秒で走れば勝てると思って死ぬ気で走ったのは鮮明に覚えています。この機会にYouTubeで動画を見返すと、ラスト200mの地点で一気に加速して先頭に出ていました。200m地点に時計を置いてくれた誰かと、最後の直線で先頭に出てくれた選手には一生頭が上がりません。ちなみにその選手は高校の県ユースで2連覇することになります。結局ゴールタイムは2分00秒95だったので、ゴール直後は本当にどっちかわかりませんでした。「標準記録突破であります。おめでとうございます。」というアナウンスを聞いた時、自然と涙が溢れました。多くの人に祝福されたこととか、その後の決勝の様子とかを詳細に書きたい気持ちもありますが、字数の兼ね合いでバッサリ割愛します。
それから約3週間後の県総体では1日目に1500mに出場し、4分8秒84をマークして全国を決めました。既に800mで全国を決めているので、気楽に望むことができ、レースプランも全く考えていませんでした。適当に先頭集団の3〜4番手につけ、そのままの流れで走っているうちに、ラスト400mの通過が3分3秒と見えました。これってどうなのと思いながら頭の中で計算し、ラスト400mを67秒で走れば勝てると分かった頃には、先頭は既にスパートをかけていました。先頭について行き、組2着でゴールしました。組1着で同じく標準を突破した選手とゴール直後にハイタッチしたのを覚えています。彼は同じ地区大会で切磋琢磨してきた戦友でした。誰もが皆それぞれの船に乗っているのに、同じ灯台を目指している感じがしてよかったです。その後の決勝は8位でした。その帰りに中学校で開かれたイベントに参加しました。興奮していたこともあって、勘違い発言を連発していたと思います。次の日の800mは前日の疲労もあって予選落ちでした。あわよくば入賞とかも考えていましたが、とりあえず2種目とも突破できたので嬉しかったです。目標を達成した数日後、私は夏休みの生活作文を書きました。題名は「兵庫を背負う」で、終盤には「陸上部の練習着に、背中に兵庫と書かれたシャツが多くあるが、兵庫を背負う前に兵庫に背負われていた」という部分があります。同じ中学校の人は文集を読み返してみてください。母は「ちょっとやってるよね」と言っていましたが、個人的にはこれ以上に書くべきことがないと思っていました。多くの人が全中に出場する兵庫県だからこそ、たまたま良い流れに乗れただけだと思っています。これからもハイレベルな集団に身を置いて、成長していきたいです。

 

 

 

【sailing day】

 

youtu.be

 

17.「中学校/嬉しかったこと」にも書きましたが、大体試合の時はiPod nanoで音楽を聞いていました。基本的に私はアルバムを1曲目から通しで聞くタイプでしたが、唯一単体で聞くのはRADの「閉じた光」と「億万笑者」と「君と羊と青」、BUMPの「sailing day」、ELLEの「ジターバグ」らへんです。特に「億万笑者」と「sailing day」は通信大会の日にずっと聞いていたので、前回の時はあえて伏せていました。もう一曲だけ後々に書く曲があるので、伏せてます。「億万笑者」はいい動画がなかったので、今日は「sailing day」を紹介します。MVを紹介しても良かったのですが、ルフィが途中で走ってくるし、このカバーも原曲の良さを際立たせているので、今回はカバーを紹介します。私は10代ではないですが、ちょっとバズれば優里ちゃんねるの全ての動画をチェックしてしまうタイプです。その中でも結構良いなと思った動画のうちの一つで、特に歌った後のトークがとても共感できました。全曲聞いた結果、声の出し方はTakaっぽくて、「情けない」とか「○○ない」の発音の仕方が完全に藤原基央だと思いました。「sailing day」はONE PIECEの映画の主題歌なのですが、映画のオファーが来る前からこの曲を作っていたという逸話もあります。「夜明けを待たないで帆を張った」とか「哀しみも絶望も拾っていく」とか「嵐の中嬉しそうに帆を張った」とか、ほぼルフィやんと思いました。安易に仲間とか絆とか言わないのもいいなと思うところです。ちなみにこの日は「舵を取れ」が「勝ち誇れ」に聞こえて、めちゃくちゃ感動しました。永遠のドリーマーでいたいです。