時をかける表象

東京大学文科2類。記事と日記に分かれてます。

3.「前提の受動性」

2021/03/18 木曜日

 

私が今まで自分のファッションに気を配らなかったのは「前提の受動性」を理解しているからです。こうした言葉が既に存在しているのかどうかは知りませんが、ファッションについての自分なりの違和感を勝手に「前提の受動性」と呼んでいます。私は自分が身につける衣服に必要以上のお金と神経を使いません。特に憧れのファッションリーダーもなければ、自分磨きのためにファッション誌を読むこともありません。最近はファッションで自己主張や気分転換をしてみたいという気持ちも芽生えてきましたが、本当の意味での自己主張は可能なのか疑問に思ってしまいます。というのも、衣服を店舗で買う場合、結局その服は既製品であって誰でも買えるものだからです。ダメージジーンズと黒のライダースジャケットを身につけている人を見て「きっとこの人はクールな人なんだろうな」と思うのは、企業やファッション誌がそうしたイメージを衣服に組み込んでいるからです。クールな人に見られたいと思う人のために、店舗はそういうファッションを提示し、少しでも多くの服を売るためにファッション誌は○○コーデと銘打ってトレンドを作り出します。たとえ「社会の常識に縛られないファッション」をファッション業界が打ち出したとしても、服を買う側の人間はファッション業界が打ち出した常識に縛られたままです。衣服を購入する際、私たちは自分が身につけるものを自分で選び、それによってどんな自分を表現するかも自分で決めたような気持ちになります。しかし、主体的に選びとったはずの好みや選択肢自体が、そもそもメーカーやファッション誌によって提示された常識やイメージの上に成り立っているのです。これを私は「前提の受動性」と呼んでいます。
この「前提の受動性」はファッションに限った話ではありません。人生そのものに通じる話だと思っています。例えば私は型破りな人間や個性的な人間に憧れを抱いています。しかし今ここで髪の毛を真っ青に染め、腕や足首にタトゥーを入れ、思いつく限りの型破りな言動をしたとしても、私はそうした存在にはなれません。なぜなら、地元の進学校に通い、東京大学に入学するという没個性的なコースを歩んでしまっているからです。本当に型破りな人ならば、どれだけ学力があろうと、常識の言いなりになって高校や大学に通わないでしょう。本当に個性的な人ならば、中学卒業段階で大多数の人間と同じように高校に進学するようなことはしないでしょう。どれだけ常識に縛られたくないと思っていても、私は既に社会が用意したレースに参加し、常識的な人生を歩んでしまっているのです。しかも本当に個性的な人間は社会不適合とされて孤立するのが現状だと思います。よく「個性的なメンバーが揃ってる」ことを強く押し出してくるサークルなどを見かけますが、本当に個性的なメンバーが揃っている集団は間違いなく破綻するでしょう。恐らく多様性をアピールしたいのだと思いますが、ある程度の共通点がなければ集団はまとまりません。そもそも孤立するのが怖くて何かしらのコミュニティに属している人間が、本当に個性的なのでしょうか。
とはいっても私は個性的であることを一切諦めてしまうつもりはありません。他人との差別化やブランディングが求められる時代なので、社会での成功と独自性は常に背中合わせです。そこで私が目標にしていることは「誰にもできない方法で、誰もが羨む成果を出す」ということです。言い換えれば、「独自性を出しつつ、既存の競争に勝つ」ということです。独自性を出すことと競争に勝つことの両方が必要不可欠なのです。M-1グランプリで松本人志が審査員席に座る際に「漫才の歴史は彼以前、彼以後に分かれる」とアナウンスされるのは、彼が漫才という既存の枠組みで競争に勝ち、その独自性がその後のお笑い界に影響を与えたからです。毎年行われる賞レースで優勝するなど、漫才という枠組みで競争に勝つ漫才師は一定数いますが、全員が松本人志ほどの影響力を持つわけではありません。全くテレビで見かけないチャンピオンも存在します。かといって、そもそも勝負に勝たなければ世に出ることはありません。受験勉強に例えるなら、何の自我も工夫もなくただ言われたことをこなして合格するのはただの試験秀才ですが、どれだけ参考書に関する知識が豊富でも、落ちてしまえばただの受験マニアであるということです。そもそも私が「幸せになりたい」という時、その幸せは自分が決めているようで、社会の常識が影響しています。既にそこに「前提の受動性」が存在しているのです。だからこそ、既存の枠組みを壊すような本当に個性的な人間を目指すのではなく、あくまでも用意された勝負を独自の方法で勝ち切るような人間を目指したいと思います。独自性を盾に勝つことから逃げるような人間になってはならないのです。

 

【キラーボール】

 

youtu.be

 

今回の記事を書いている途中で、ゲスの極み乙女。の「イメージセンリャク」という曲に出てくる「イメージをイメージで作り上げた」というフレーズがふと頭に浮かびました。松本人志の例を書いている時にも、音楽プロデューサーの蔦谷好位置が川谷絵音以降というジャンルの音楽があると指摘していたことを思い出しました。この流れからして、今日は「イメージセンリャク」のMVを紹介しようかと考えましたが、やっぱり川谷絵音の独自性を紹介するにはキラーボールかなと思いました。有名な曲は「私以外私じゃないの」「ロマンスがありあまる」辺りになってくると思いますが、これはBUMPでいう「天体観測」であり、RADでいう「前前前世」であって、ある種の義務教育みたいなものなので今更紹介する必要はないと思います。本当は「スレッドダンス」や「crying march」のようなMVのない曲も紹介したいし、「オトナチック」とか「ノーマルアタマ」みたいな曲もいつかは紹介すると思いますが、やはり「キラーボール」を最初に聴いた時の衝撃は今でも忘れられません。川谷絵音の才能と、個々のメンバーの演奏力の高さに感動しました。この曲の凄いところはインディーズの時に書かれたということと、ショパンの幻想即興曲が唐突に始まるところ、今でもライブで1番盛り上がるところにあると思います。「ゲスなのか、タコなのか」というライブに参戦した時、「戦ってしまうよ」のイントロが流れた瞬間に死ぬならこんな日がいいと思いましたが、3曲目にして「突然ですがキラーボールで踊りませんか」というMCと共にこの曲が始まった時は、こんな瞬間があるなら絶対死にたくないと思いました。