時をかける表象

東京大学文科2類。記事と日記に分かれてます。

like a magnet do

2020/05/20 水曜日

 

エド・シーランのShape of Youを聴く度にいつも思うのは、文法とは何なのかということである

Shape of Youは多分聴いたことがある人も多いと思うが、以下にOfficial Videoのリンクを貼っておく

特にOfficial Videoが有名なわけではないが、特徴的なイントロを聴いてどんな曲かわかる人も多いと思う

https://youtu.be/JGwWNGJdvx8

 

自分は、現在朝ドラのエールをやっている窪田正孝が主演の「僕たちがやりました」というドラマで初めてこの曲を聴いたと思う

高校に爆弾を仕掛けようと夜中に家を抜け出すところでこの曲が流れるのだが、窪田くんは相変わらず上手いし、パイセン役の今野がマジでいい味出していた

あと窪田くんと水川あさみが共演したのもこのドラマで、個人的に推している新田真剣佑とか永野芽郁とかも出ているのでかなり俺得なドラマだった

高校生らしいパロディ要素も強くて見やすかったが、どんどん追い詰められる中で、特にドラマの最終回は窪田くんの良さが凄い出ていて、賛否両論あるとは思うが自分は結構好きだった

Amazonプライムで全話視聴可能なので、ぜひ暇があれば見てほしい

あと野田洋次郎が出演するということで見始めたエールでも窪田くんの演技は目を見張るものがあるなと感じていて、この前の月曜日の冒頭で早稲田の応援団が家に押しかけるシーンでも、資料を読みたいけど誰かが訪ねてきてしまったという細かい演技や心理描写が凄いなと感じる

ちなみに洋次郎は、まるで「部屋に入って周囲を見渡す」「天井を見上げながら言う」と書いてあるかのような演技をしている

洋次郎と窪田くんと言えば映画の東京喰種を思い浮かべてしまうが、どちらもそれぞれの分野の天才だと思う

デスノートとか東京喰種のようなシリアスな役も、エールのようなオドオドとした役もできるのは、やっぱり本物の役者さんだなと感心してしまう

 

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ちなみに本題に入るが、これはShape of Youのサビの歌詞で、聴く度にいつも引っかかるのは like a magnet doの部分である

普通に考えれば、a magnetは三人称単数なので、ここはdoではなく、doesのはずである

曲として聴けば1行目最後のyouや3行目最後のtooと韻を踏むためだとわかるが、それなら複数形にするなり何なりすれば良かったのではないかと思う

実際この曲で一般動詞に三人称単数のsが付いている場所、付ける必要がある場所はここ以外になく、my bed sheetsなど複数形が使われてある箇所も多い

もしかして、(May) god bless you!というような祈願のmayなどの助動詞が省略されているのではないかと考え、インスタのストーリーで有識者にも聞いてみたが、やはり韻を踏んでいるという見方が強かった

ネットで検索すると、同様の質問をしている外国人の方をいくつか見つけることができたが、「曲のために文法規則から外れたことをやっている」という解答ばかりだった

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確かに日本の曲でも少し崩した表現や文法的に間違っている歌詞は多い

特にコブクロの桜に至っては最後だけ「君の中に咲くlove」という英単語一語が紛れ込んでいたりして、アメリカ人が聞いたら唐突に出てくるloveという母国語に困惑することもありそうである

何も聞き取れない英語のリスニングの最中に「モッタイナイ」などの日本語が出てきた時と同じような気持ちになるだろう

それを考えれば、そこまで歌詞に厳密な文法規則を求める必要はないと思うが、中学英語の初歩中の初歩である三人称単数現在のsでさえも無視できるものなのかと個人的に驚いた

実際自由英作文やディスカッションなど、急いで英語を書いたり話したりする際には、三単現のsは抜け落ちやすいし、正直ネイティブの人も日本語で言う「ら抜き言葉」のように、sをつけ忘れることもあるのではないかと思い、調べてみると三単現という概念がない方言もあるということがわかった

その中にはイースト・アングリア地方というイギリス東部の地域があり、エド・シーランはイングランドのウェスト・ヨークシャー出身なので、200km以上距離はあるが、ワンチャン影響を受けていたりするのかなと思ったりもした

というか、方言として三単現のsを無視するということが可能なら、日本でも日本訛りの英語を生み出せばいいのではないかと思う

シンガポール英語やインド英語なども存在しているし、もっと言えばここにくると英語にこだわる必要性すら疑わしくなっている

実際母語話者の数で言えば英語よりも中国語の方が圧倒的に多いし、日本にいる外国人もアジアの人が圧倒的に多い

確かに国際的な場で英語が使われることは多いが、それは大国であるイギリスやアメリカが大国であり続けるための方策であるとすら思っている

日本人が論文を読んだり国際的な場で活躍したりするために学校で英語を学んでいる時間は、現地の学生にとっては勉強の時間ではない

小学校を卒業して「私はテニスができます」「私は彼より背が高い」と日本語で読み書きするのを勉強だと思っている日本人の学生がいないことを考えれば当然のことだと思う

加えて、今まで身につけてきた歴史や地理の知識はほとんど英語で説明することができない

どれだけ歴史や政治に精通していようと、それを日本語で学んでいたら、外国人と議論できないのである

つまり国際的な場で活躍する上で、英語を母語としない国や地域の人々は不利な立場に置かれているのであり、裏を返せばその分ネイティブスピーカーは有利な立場にあるということである

よく老若男女問わず、主要科目のうち英語だけしかできない人が多いのはこのためである

ギリギリ発音がいい英語で得意げにALTの先生に話しかけがちなこのタイプは、日本の入試において英語が出来るとかなり有利ということもあって比較的高学歴になる確率も高いが、限られた時間の大部分を英語に費やしただけであって、別段能力が高いというわけでもないので、英語は話せるけど英語で話す内容を知らないという状況に陥りがちである

他人より英語を得意にするためには、その分だけ他人より勉強量を増やさなければならないということになるが、大半の人間はこのことに気付いていないし、それが世の中の仕組みであったりもするのだと思う

最近では国際社会に向けて英語教育を重視し、英語の中でも英文法ではなく英会話に重きをおいた学習にシフトしようという風潮があるが、英会話のテキストにあるようなやりとりのほとんどが普通に文法を学んでいれば習得できるものである

英語ができるというだけで職にありつけたり、受験料のやたら高い試験を受けさせるだけで儲かったりする人がいる時点で、この風潮は変わらないと思う

ある種の大規模な洗脳によって、今日も電車の中にある英会話の広告に目を留めるのである