時をかける表象

東京大学文科2類。記事と日記に分かれてます。

2.努力と才能について

1.教員や講師について→https://wimper458913.hatenablog.jp/entry/2019/04/02/213043

 

俗にいう難関大に合格している人は世間が思っているほど全知全能ではないです。

というか尊敬も込めて頭おかしいと思ってます。

思春期の多感な時期に、いろんな誘惑に負けずに毎日10時間くらい勉強できることがすごいわけで、地頭や才能はあまり関係ないと思います。

むしろ幼少期から「ボク、医者になる!」とか言ってスマホも持たず、制服デートや少年法をギリギリかいくぐるような遊び、どうせ明日も会うのに眠い目をこすりながら夜通し友達同士でどうしようもない話をするような経験をせずに勉学だけに励んでいる人間を地面の良い人間だと言えるのでしょうか。

そういう人間が、ネジが外れたアメリカのおもちゃみたいな、ただの思考停止受験マシーンであることは揺るぎのない事実なのですが、それでも合格できるのが大学入試です。

点数さえ足りていれば合格できるわけだから、受験のことだけを考えれば機械になればいい。

ひとまずは圧倒的に志望校の問題に強くなることだけを考えて、先生が言うような「社会で通用する力」は大学で学べばいいのです。

自分はそこまで勉学に打ち込めなかったけど、あなたがそうなりたいなら別に止めもしないし、むしろ尊敬します。

 

もちろん受験に限らず、才能があればどの分野でもかなり有利だと思いますが、努力したのに才能がないから出来なかった、というのはあり得ないと思います。

まぁ大抵は負け犬が悲劇のヒロイン風に言うセリフだと思いますが、そもそも努力というのは全て後で決まるものです。

成功して初めて「努力ができた」と言えるのだと思います。

少なくとも戦士である内はそう思っていないといけない気がします。

もっといえば、今この文章をここまで読んで「ん?それは違うでしょ」と思っている暇人のあなたに、あなたがしてきた努力は本当に努力ですか?と聞きたい。

よく「東大生は、努力すればなんでもできると勘違いしている」と勘違いしている人を見かけます。

努力をするから何かが達成できるのではなくて、なにかを達成した時に初めて、それまでの過程が努力とみなされるのだと思います。

ここに苦痛や頑張りといったものは必要ないです。

適当にボールを蹴って遊んでいたらいつのまにかトッププレイヤーになっていたサッカー選手についても、彼にとってはその遊びこそが、無意識に行われる努力だったわけです。

しかも「努力したのにダメだった」と言い訳をする人間の努力は、例えば全国大会に行きたいから毎日腹筋50回してます、難関大に行きたいから毎日授業の予習をしました、みたいなレベルのことが多いです。

本当に同じ目標を志す他人に比べて頑張れたと言えるのか、あなたがやってることは当たり前のことなんじゃないか、と思ってしまいます。毎朝歯磨きや洗顔をした後に、頑張ったとは思わないのと同じで、本当にライバルに比べて頑張りが足りているのかどうかという視点を持たない人があまりにも多いような気がします。

 

次は私自身の受験について書きます。